少しずつ

小説を読むのは苦痛だが、エッセイは苦なく読める。理由は分かっている。小説は全ページを読まないと完結しないが、エッセイは数ページで一つの話が完結するからだ。同じ分量でも、細切れのほうが精神的に楽なのである。喩えるなら、小説は一口で食べなくてはいけない500gのステーキに対して、エッセイは一口ずつ食べられるサイコロステーキなのだ。

映画とアニメの場合も同じだ。2時間の映画を観るにはそれなりの覚悟がいるが、30分のアニメは気軽に何話でも観ることができる。気づけば2時間があっという間に過ぎている。

ちょっと考えてみた。
女の子とのデートも、1日に1人ではなく、1日に3人としたほうが楽なのではないか、と。

色んな意味で、もたないと思った。

 

ラブホテルからデートをはじめるトーク術

※50%ぐらいの確率で使えるトーク
 

男 「食事の時、好きなものから食べる、それとも嫌いなものから?」
 
女 「好きなものから食べるよー」
 
男 「好きなものから食べると、食事全体として美味しかったと思いやすいんだって。だから、幸せな食べ方なんだよ」
 
女 「へー、そうなんだ」
 
男 「だからね、人生も行動も好きなことからするのが大事じゃないかって、僕は思うんだ」
 
女 「うんうん。そうだね」
 
男 「デートは、ラブホテルからはじめよう」

 

※脳内シュミレーションは完璧なんだけど、誰か実践してみてください。

いっぱいいっぱい

漫画『はじめの一歩』でのベストマッチは何かと問われれば、私は「間柴VS木村」と答える。間柴のフリッカージャブを7Rまで耐えしのぎ、間柴の意識をボディーに向けさせた木村だ。そして迎える8R、意識がボディーに向いている間柴の顔面に木村は強烈なドラゴンフィッシュブローをぶつける。死角から放たれたパンチに、強靭な精神を持つ間柴も恐怖した。だが、あと数センチ及ばず。木村はリングの上で立ったまま気絶してしまったのだ。木村は試合後、「何で、これっぽっちの差を埋められなかったんだ」と悔し涙を流す。たった数センチの差が天国と地獄を分けたのだった。

ある日、スーパーの駐車場に車を留めて運転席から降りた直後、私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、1か月前に女の子を囲んで一緒に遊んだ友人がニコニコしながらこっちに向かってきていた。友人のあだ名はゾマホン。やたらとテンション高くしゃべるところから、その名がつけられた。

「たかちゃん、俺、この間一緒に遊んだA子ちゃんと付き合うことになったんだよ」

「あぁ、そうなんだ。おめでとう」

「それでさー、先週、その子とエッチしたんだよね」

「へぇ~、よかったじゃん」

「それがよくねーんだよ!!!」
友人はいきなり大声で否定してきた。

あっけに取られている私を余所に、友人は話を続けた。

「エッチの時、なんて言われたと思う。『もっと奥まで挿れて~~』って言われたんだぜ。これ限界だから。いっぱいいっぱいだから。ほんとマジで最悪。とにかく、そういうことだから。じゃーな」

鬱憤を吐き捨てるように一部始終話した後、友人は勝手に帰っていった。

人生とは、ほんの数センチの差が雲泥の違いをもたらすものなのかもしれない。

 

名前の由来

誤った理解をしたまま覚えてしまったといった経験をあなたはお持ちだろうか? 武田鉄矢がDJを務めるラジオ番組「今朝の三枚おろし」で一冊の書籍が紹介された。語源を記した『白川静博士の漢字の世界へ』である。武田鉄矢はご存知の通り金八先生役を演じており、授業中に語源を教えつつ、道徳心を養う授業が何度か登場する。ラジオの中で武田鉄也は、金八先生が教えていた説はすでに否定されており、今は白川静博士の説が有力とされている旨を告白した。

友人数名と宴会をしていたときである。何かの拍子に話題が「アライグマ」の名前の由来に移った。私が「アライグマは気性が荒いからアライグマなんだよ」と言ったら、そこにいた全員大笑いして「食べ物を洗うからアライグマなんだよ」と否定してきたのだ。全く困ったものである。

私は小さい頃、近所の亭主にアライグマの子どもを見せてもらったことがある。その気性の荒さといったら尋常ではなかった。小熊にも関わらず鉄の檻を壊す勢いで暴れまくっていたのだ。そして亭主に「アライグマの子だよ。荒いだろ」と教えられたのである。アライグマの気性を目の当たりにした私は、子どもながらに得心がいった。

彼らは未だに、「食べ物を洗うからアライグマ」と思っているに違いない。全く困ったものである。

むりくり

日本文化の一つに「包む」がある。
風呂敷で贈り物を包んだり、封筒でお金を包んだりと、日本人の生活に深く浸透している。食文化にもそれが表われている。「おにぎり」や「お饅頭」がそうだ。具を米や皮で包んでいる。こうした包む食文化があったため、日本にパンが伝来してからすぐに「あんぱん」が開発された。その後もカレーパンにシュークリームパンなど、西洋にはなかったパンが次々と生まれていったのだ。

一方、西洋は「挟む」文化が発展した。サンドイッチにハンバーガー、ホットドックなどがそうだ。こうして見ると、食文化にはその国の特徴がよく表われている。実に面白い。

私は時々、おにぎり専門店に立ち寄ってお腹を満たすことがある。梅にシャケに昆布など、質素な具が好きでよく注文する。ただ、こうしたおにぎり専門店でも「包む」から逸脱したおにぎりを必ず目にする。それは、「えび天おにぎり」といったものだ。長細いえびが包めるわけがなく、完全に飛び出ている。むりくり、ご飯と海苔で挟んでいる感じがする。それを見るたび心の奥底で「これは、おにぎりにしておにぎりであらず!」と叫ぶ。でも、時々注文してしまう。だって美味しんだもん。

でもやっぱり、「挟む」は日本の道にあらず。「挟む」に甘んじてはならない。いつしか、長細いエビやソーセージを包む食べ物が生まれる日が来るであろう。

PS
おっぱいで挟まれたい。

 

冷水

アニメ『遊戯王』を何度かテレビで見たことがある。見るたび不思議に思っていたのだが、なぜ、カードキャラがダメージを負うたび、プレイターも一緒に「うわぁぁぁ」と叫び声をあげるのか。プレイヤーはダメージを受けていないはずである。この画を見ていて、ふと、ある日のことを思い出した。

7歳のとき、従兄弟の家に遊びに行った日のことである。3つ上の従兄弟は友達とドラゴンクエストをしており、その友達がコントローラーを握っていた。戦闘中、キャラクターがダメージを負うたび、「イテッ」「イッてーなー」と叫んでいる。RPGをまだしたことがなかった私は目を丸くてその様子を見ていた。そしてついに我慢しきれなくなって聞いてしまった。「痛くないでしょ?」。隣にいた従兄弟は苦笑しており、友達は「う、うん」と答え、それから黙ってプレイするようになった。その横顔は、何とも言えない複雑な表情だった。

思い返せば、興に水を差してしまった。それもかなりの冷水を。彼はきっと、キャラと一体感を持つことによって、ゲームを楽しもうとしていたに違いない。アニメ『遊戯王』のキャラクターたちも、ゲームを楽しむために叫び声をあげているのだろう。そう思うようになってから、少し優しい気持ちで遊戯王を見れるようになった。

 

万人が魅入ってしまうもの

証明写真機のカーテンを100枚盗んだとして69歳の男性が逮捕された。私はこのニュースを見た時、可笑しさと悲しさが入れ混じった気持ちになった。この男性は一体何を思ってカーテンを収集していたのだろうか。盗んだカーテン100枚を眺めながら、悦に入っていたのだろうか。

私が4~6歳の頃、ビックリマンチョコのおまけで付いてきたシールを集めていた。1枚30円、弟と二人で一度に5枚~10枚を購入し、最終的には1,000枚収集した。シールはアタッシュケースにすべて入れ、シールでいっぱいになったケースを見ては、一人悦に入っていたものだった。

そもそも、収集する物が何になるかは“偶然”に等しい。「なぜそれを収集しているの?」と問われても、論理的な回答はできない。「ただなんとなく見ていると気持ちいいから」としか答えられない。その気持ちいい物が私の場合、たまたま「ビックリマンシール」になっただけである。

カーテンを盗んだ男性は不幸なことに、「証明写真機のカーテン」に魅入ってしまったのかもしれない。もしそうだとすれば、犯罪なのだけれども、何とも可哀想な気もしてくる。

何を収集するかは偶然だと述べた。だが、一つだけ例外がある。それは「お金」である。万人が時間と労力を惜しまず、必死になって集めている。通帳の数字を見ては、悦に入っている人はどれぐらいいるのだろうか。私も悦に入りたい。

 

大きいほうだよ

人は見た目が9割
この言説はおそらく真理だろう。見た目には、その人の美意識や粋、相手への気遣いや思いやりが表われる。外見は内面を映す鏡と言ってもいい。

私の愛読書の一つに、ビートたけしの著書『浅草キッド』がある。本書の中で私が特に好きなのは、たけしの師匠である深見師匠の話だ。深見師匠の江戸っ子精神に今の現代人にはない心意気を感じ、何度も読み返した。深見師匠もまた、服装の大切さをたけしに説いている。

「タケ、おめぇな、いくら貧乏しているからって芸人の端くれなんだからな。芸人は食うもん食わなくたって着るもんにはお金をかけるものなんだよ。ええ、腹減ってんのは見えねぇけど、どんな服着てるかってのはすぐに分かるぜ」(P118)。

barで友人からこんな相談を受けた。「A子とB子、どちらと付き合おうか悩んでいるんだよね。A子は・・・でいい子だし、B子は・・・で可愛いし。なぁ、どっちと付き合ったほうがいいと思う」。以前の私なら、「両方と付き合えばいいんじゃね」と答えていただろう。しかしこの時の私は、『浅草キッド』を読んでいたこともあって、外見の大切さが脳裏をよぎった。私はウィスキーグラスを静かに置き、彼の眼を見てこう言った。「おっぱいの大きいほうだよ」。

 

加齢臭

「自分は無宗教」と思っている日本人は多い。それは誤解である。日本は世界一の宗教大国であり、誰もが宗教心を持っている。日本人の生活の中には、様々な宗教慣習や風習、そして言葉が溶け込んでおり、知らず知らずのうちに宗教心が養われているのだ。日本の犯罪率が低く、マナーがよいのはそのためだ。

宗教の完成形は、生活と宗教の一体化にある。切り分けているうちは、真の意味で宗教心が浸透しているとは言えない。敬虔な宗教家が多い国でも犯罪率が高いのは、生活と宗教を切り分けているからだ。宗教が生活に溶け込み一体となったとき、意識しなくても宗教心が心身に宿るのである。日本人の「自分は無宗教」という無自覚さは、それだけ生活の中に溶け込んでいる証でもあるのだ。このことは、世界に誇ってもいいと私は思っている。

新幹線に乗車した時の話である。指定席に座った瞬間、鼻を突く嫌な臭いがしてきた。はじめは何の臭いなのか、臭いのもとはどこなのかと探してみたが分からなかった。10分して気づいた。私の隣に座っている男性の加齢臭であることに。さぁ、これは困った。自由席なら席を移動すればいいが、指定席の場合はそうもいかない。停車駅に止まるたび、「ここで降りろ! ここで降りろ!!」と神に祈った。神は無慈悲だった。結局男は、終点(東京)まで降りることはなかった。そして男は無自覚だった。嘔吐寸前に追い詰められた私の存在に。

加齢臭は、本人には分からないらしい。日々の生活の中に溶け込んでいるため、臭いに気がつかないのだ。生活と一体となり無自覚になるのも考えものである。

 

やりました・・・。やったんですよ!必死に!

デリヘルを頼んだら写真と違う人が来た。男性なら一度は味わう苦い経験である。

1年ほど前、あるブログ記事を目にした。内容を要約すると、「風俗雑誌に載せる写真を修整するバイトをしていたけど、罪の意識に苛まれて辞めました」といったものだ。コメント欄には「お前の所為だったのか」「どおりで別人が来るわけだ」などの書き込みで溢れていた。写真と違った、想像と違ったといった経験は、デリヘルに限らず、誰しも一度や二度あるはずだ。そしてその経験はしこりとして一生残る。

つい数日前、私は「機動戦士ガンダムUC フルアーマー・ユニコーンガンダム (デストロイモード/レッドカラーVer.) 」を注文した。Amazonの商品写真を複数見たが、どれも組み立てられたガンダムUCが載っており、それを見た私は、「おぉ、完成しているタイプのプラモデルなのか」と思い即購入。だが、それは誤解だった。届いた商品を開けてみたら、ゼロから組み立てるタイプのプラモデルだったのだ。

知らない人のために言っておくと、「機動戦士ガンダムUC フルアーマー・ユニコーンガンダム (デストロイモード/レッドカラーVer.)」は、装備がやたらと多く、そのため、他のプラモデルよりも部品が数多くある。装備の多さに魅かれて買ったのだが、それがかえって仇となった。組み立てるのに、6~10時間かかると思われる。正直言って、そんな時間はない。

 
「頑張って組み立てようと努めましたが挫折しました」といったブログのネタにでもしようかと思ったが、それすら面倒臭くなった。最後のオチの台詞も決まっている。

「やりました・・・。やったんですよ!必死に!その結果がこれなんですよ!!パーツをばらして、組み立てて、今はこうして途方に暮れている!これ以上なにをどうしろって言うんです!!何を嵌め込めって言うんですか!!」←分かる人にしか分からない

ココナラで組み立てをお願いしてみようかな。