「我慢できる恋愛は恋愛じゃない」‬の男バージョン

ちょっと前に、NMB48須藤凜々花が「我慢できる恋愛は恋愛じゃない」‬と発言して物議を醸したよね。女性の恋愛至上主義を表した名言だと思ったよ。もしこれを男性バージョンに直したら、‪「我慢できる性欲は性欲じゃない」‬になるのかもね。捕まるね。

 

ヒアリにご注意

ヒアリの生息エリアが拡大しているみたいだね。ヒアリが厄介なのは、増殖力と活動力にあるんだって。1日に2000個も卵を産むし、働きアリは他のアリより精力的に働くようだよ。そのうち、「ヒアリのように働け」と喝破する経営者も出て来るだろね。労働者からしたら、ヒアリとする話だよ。

 

ヒアリ……

思想や価値観が違う人に対して、「馬鹿」とか「頭悪い」とか言うのやめようぜ

思想や価値観が違う人に対して、「馬鹿」とか「頭悪い」とか言って、相手の意見と人格を否定している人をSNS上ではよく見かけるよ。相手の考えやその考えに至った背景を少しでも理解しようとしない姿勢は、一種の思考停止だし、大人げない態度だと思うね。自分と考えの違う人を排斥し、同じ意見の人たちだけでつるんでいると、知らず知らずのうちに視野狭窄になり、狭量な人間になってしまうよ。ちなみに、私がネトウヨから絡まれたら、「うっせぇ馬鹿。頭の悪い奴は黙ってろ」って返すようにしているよ。

 

裏表のない人間ですよ、私は。

「裏表のない人=いい人」みたいな印象ってあるよね。自分または相手が、裏表のある人間かどうかを知りたければ、FacebookTwitterを見るといいよ。Facebookは建前、Twitterは本音の社会だからね。乖離しているほど裏表があるってことだよ。ちなみに私は、FacebookでもTwitterでも、下品な発言しかしてないよ。私の例を見てわかるように、「裏表のない人=いい人」は間違いだね。クソッ

 

クズばかり

夜遅い時間、とあるファミリーレストランに行った。この時間、どうしてもマナーの悪い客が集まるものだ。ソファーで寝る者、カードゲームをしてはしゃぐ者、色々いた。顔が小さくて可愛い娘がオーダーを取っている。彼女の顔には笑みがない。「どいつもこいつもクズな客ばかりだよ」という思いが顔から滲み出ている。わかる。私も君と同じ立場なら、愛想を振りまく気も起きないよ。クズの見本市だと思って接客するだろうね。ちなみに、私に向けてきた「お前もどうせクズなんだろ」という冷たい視線、とってもゾクゾクしたよ。ぼっきした。

 

少しずつ

小説を読むのは苦痛だが、エッセイは苦なく読める。理由は分かっている。小説は全ページを読まないと完結しないが、エッセイは数ページで一つの話が完結するからだ。同じ分量でも、細切れのほうが精神的に楽なのである。喩えるなら、小説は一口で食べなくてはいけない500gのステーキに対して、エッセイは一口ずつ食べられるサイコロステーキなのだ。

映画とアニメの場合も同じだ。2時間の映画を観るにはそれなりの覚悟がいるが、30分のアニメは気軽に何話でも観ることができる。気づけば2時間があっという間に過ぎている。

ちょっと考えてみた。
女の子とのデートも、1日に1人ではなく、1日に3人としたほうが楽なのではないか、と。

色んな意味で、もたないと思った。

 

ラブホテルからデートをはじめるトーク術

※50%ぐらいの確率で使えるトーク
 

男 「食事の時、好きなものから食べる、それとも嫌いなものから?」
 
女 「好きなものから食べるよー」
 
男 「好きなものから食べると、食事全体として美味しかったと思いやすいんだって。だから、幸せな食べ方なんだよ」
 
女 「へー、そうなんだ」
 
男 「だからね、人生も行動も好きなことからするのが大事じゃないかって、僕は思うんだ」
 
女 「うんうん。そうだね」
 
男 「デートは、ラブホテルからはじめよう」

 

※脳内シュミレーションは完璧なんだけど、誰か実践してみてください。

いっぱいいっぱい

漫画『はじめの一歩』でのベストマッチは何かと問われれば、私は「間柴VS木村」と答える。間柴のフリッカージャブを7Rまで耐えしのぎ、間柴の意識をボディーに向けさせた木村だ。そして迎える8R、意識がボディーに向いている間柴の顔面に木村は強烈なドラゴンフィッシュブローをぶつける。死角から放たれたパンチに、強靭な精神を持つ間柴も恐怖した。だが、あと数センチ及ばず。木村はリングの上で立ったまま気絶してしまったのだ。木村は試合後、「何で、これっぽっちの差を埋められなかったんだ」と悔し涙を流す。たった数センチの差が天国と地獄を分けたのだった。

ある日、スーパーの駐車場に車を留めて運転席から降りた直後、私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、1か月前に女の子を囲んで一緒に遊んだ友人がニコニコしながらこっちに向かってきていた。友人のあだ名はゾマホン。やたらとテンション高くしゃべるところから、その名がつけられた。

「たかちゃん、俺、この間一緒に遊んだA子ちゃんと付き合うことになったんだよ」

「あぁ、そうなんだ。おめでとう」

「それでさー、先週、その子とエッチしたんだよね」

「へぇ~、よかったじゃん」

「それがよくねーんだよ!!!」
友人はいきなり大声で否定してきた。

あっけに取られている私を余所に、友人は話を続けた。

「エッチの時、なんて言われたと思う。『もっと奥まで挿れて~~』って言われたんだぜ。これ限界だから。いっぱいいっぱいだから。ほんとマジで最悪。とにかく、そういうことだから。じゃーな」

鬱憤を吐き捨てるように一部始終話した後、友人は勝手に帰っていった。

人生とは、ほんの数センチの差が雲泥の違いをもたらすものなのかもしれない。

 

名前の由来

誤った理解をしたまま覚えてしまったといった経験をあなたはお持ちだろうか? 武田鉄矢がDJを務めるラジオ番組「今朝の三枚おろし」で一冊の書籍が紹介された。語源を記した『白川静博士の漢字の世界へ』である。武田鉄矢はご存知の通り金八先生役を演じており、授業中に語源を教えつつ、道徳心を養う授業が何度か登場する。ラジオの中で武田鉄也は、金八先生が教えていた説はすでに否定されており、今は白川静博士の説が有力とされている旨を告白した。

友人数名と宴会をしていたときである。何かの拍子に話題が「アライグマ」の名前の由来に移った。私が「アライグマは気性が荒いからアライグマなんだよ」と言ったら、そこにいた全員大笑いして「食べ物を洗うからアライグマなんだよ」と否定してきたのだ。全く困ったものである。

私は小さい頃、近所の亭主にアライグマの子どもを見せてもらったことがある。その気性の荒さといったら尋常ではなかった。小熊にも関わらず鉄の檻を壊す勢いで暴れまくっていたのだ。そして亭主に「アライグマの子だよ。荒いだろ」と教えられたのである。アライグマの気性を目の当たりにした私は、子どもながらに得心がいった。

彼らは未だに、「食べ物を洗うからアライグマ」と思っているに違いない。全く困ったものである。

むりくり

日本文化の一つに「包む」がある。
風呂敷で贈り物を包んだり、封筒でお金を包んだりと、日本人の生活に深く浸透している。食文化にもそれが表われている。「おにぎり」や「お饅頭」がそうだ。具を米や皮で包んでいる。こうした包む食文化があったため、日本にパンが伝来してからすぐに「あんぱん」が開発された。その後もカレーパンにシュークリームパンなど、西洋にはなかったパンが次々と生まれていったのだ。

一方、西洋は「挟む」文化が発展した。サンドイッチにハンバーガー、ホットドックなどがそうだ。こうして見ると、食文化にはその国の特徴がよく表われている。実に面白い。

私は時々、おにぎり専門店に立ち寄ってお腹を満たすことがある。梅にシャケに昆布など、質素な具が好きでよく注文する。ただ、こうしたおにぎり専門店でも「包む」から逸脱したおにぎりを必ず目にする。それは、「えび天おにぎり」といったものだ。長細いえびが包めるわけがなく、完全に飛び出ている。むりくり、ご飯と海苔で挟んでいる感じがする。それを見るたび心の奥底で「これは、おにぎりにしておにぎりであらず!」と叫ぶ。でも、時々注文してしまう。だって美味しんだもん。

でもやっぱり、「挟む」は日本の道にあらず。「挟む」に甘んじてはならない。いつしか、長細いエビやソーセージを包む食べ物が生まれる日が来るであろう。

PS
おっぱいで挟まれたい。