読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

100万回

仏教には、生まれ変わり説(輪廻転生)がある。
この理解は8割合っていて2割誤解がある。仏教の最終目的は、悟りを開いて輪廻から解脱することにある。そもそも仏教は「生きている=苦しみ」と捉えており、輪廻をそこまで好ましい意味では使わない。輪廻は、現世で悟りを開けなかった人間への「やり直し」なのである。

絵本『100万回生きたねこ』がある。100万回死んだと自慢するとらねこが美しい白猫を好きになり、一緒に暮らすようになる。とらねこと白猫は、子どもを作り、育てる。その後、白猫が死んでしまう。それを見たとらねこは100万回泣き、後を追うように、とらねこも死んでしまう。絵本の最後は、「ねこは 決して 生き返りませんでした。」と締められる。

私はこの話を読んだ時、「これ、解脱の話だよね」と思った。100万回泣いたのは、白猫の死を100万回泣いたのではなく、輪廻して出会った人たち(100万人)に対して泣いたのである。とらねこは、愛しみを知り、「死んだ」だけと思っていた100万回の人生が「生きた」に変わったのだ。

私が着目したいのは、白猫である。白猫は、如来(悟った者)だったのではないか。白猫は「そう」と「ええ」しか言わない。とらねこが「100万回死んだんだぜ」と虚栄心をあらわにした時は「そう」、「そばにいてもいいかい」と素直になった時は「ええ」。白猫は、とらねこが解脱できるように導いたのかもしれない。

私も美しい女性と100万回SEXしたら、解脱してもいいと思ふ。